お金のなくなる未来はくる?

お金のなくなる未来はくる?

イーロン・マスクが描く未来とお金の終焉

「お金」が消える――SF小説だけでなく、一部のAI界隈で最近よく語られるテーマのひとつです。イーロン・マスク氏など、一部の起業家や技術者が「将来的にお金という概念そのものが意味をなさなくなる」と予測しているのは、非常に挑発的でありながら興味深い視点だと思います。

その背景には、AI技術の進化と、生産コストの限りない低減が挙げられます。例えば、自動化やロボット化が進めば、日常生活で必要なモノやサービスが極端に安く、あるいはほぼ無料で手に入るようになるという見通しです。さらに、エネルギー問題や物流コストなどが劇的に削減されれば、「等価交換」の手段としての貨幣が、いずれ不必要になるかもしれない、というシナリオがあるのです。

お金のなくなる時代、人間の仕事はどうなる?

もし本当にお金が存在しなくなるほど生産コストが下がり、モノやサービスが潤沢に供給されるようになれば、人間にとって「働く」動機は根本から変わるでしょう。生活のためというより、自分がやりたいことに全力を注ぐために「仕事」という形で活動する人が増えるかもしれません。

また、これに付随して語られることが多いのがベーシックインカムのような仕組みです。少なくとも移行期においては、労働の有無にかかわらず一定の収入が保証されることで、人間はより「創造的」な活動や「新たな価値の探求」に専念しやすくなると言われています。こうした環境下では、AIが単純作業や繰り返し作業を担い、人間はクリエイティブな表現やコミュニティ構築、あるいは高度な研究開発などへ集中する、という社会が想定されます。

AIと人間の在り方:共創か依存か

お金がいらなくなるほどAIが社会に浸透し、あらゆるものの生産や流通が自動化されると、AIと人間はどのような関係を築くのでしょうか。おそらく、この未来の姿は「共創」と「依存」の両方を兼ね備えたものになる可能性が高いです。

共創という観点からは、AIと人間がそれぞれの得意分野を掛け合わせ、より豊かな世界観や新しい価値を生み出すというポジティブなシナリオが描けます。人間は発想力や感性を活かし、AIは圧倒的な計算力や分析力でサポートする形です。ビジネスやアート、教育、医療といった幅広い分野で、スピードやスケールがこれまで以上に拡大するでしょう。

一方で、過度にAIに依存しすぎれば、人間自らが意思決定をする機会が減り、最終的には「自分たちの生き方」をAIに委ねてしまうリスクもあります。お金がいらない世界で、あらゆるサービスが自動的に提供されるとしたら、「生きる意味」をどう見出すかが大きなテーマとなるでしょう。極端なシナリオでは、労働のみならず娯楽や学習さえもAIが最適化してしまい、人間は“与えられる”だけの存在になってしまうかもしれません。

人間にとっての「やりがい」とは

このような未来像を考えるとき、鍵となるのが「やりがい」の再定義だと思います。これまで、お金や経済的報酬がモチベーションの一部として大きな役割を担ってきました。しかし、それらが薄れていくのであれば、人間は何を生きがいとして活動していくのでしょうか。

たとえば、社会とのつながりを感じるコミュニティ活動や、自分の知識や感性を活かして誰かを喜ばせるような創作活動、あるいは研究や探究心を満たすための知的探求など、経済的報酬以外の軸で仕事をする人が増えるかもしれません。そうした人々の活動がさらに新しい価値を生み出す好循環が起これば、もはやお金の概念がなくても社会が活性化していく未来も想像できます。

MyTHが目指すAIとの協調

私たちMyTHは、AIがあらゆる場所に浸透していく社会の中で、人間がより自由に、より創造的に生きられる世界の実現を目指しています。お金がなくなる未来が実現するかどうかは分かりませんが、少なくともAIが経済や社会構造を大きく変えていくのは間違いないでしょう。

そのとき、人間が本来の「やりたいこと」を追求し、意義や楽しさを感じながら生きられるような仕組みを、AIの力を借りながら作っていく。私たちは、そうした未来に向けて技術開発と価値観のデザインを両立させ、可能性を広げていきたいと考えています。

AIが進化すればするほど、人間に残される選択肢は「依存」ではなく「共創」であるべきです。お金という概念の延命がどれほど続くとしても、いつかその存在意義が揺らぐ日が来るかもしれません。そんなときこそ、私たち人間が新たな価値を創造していく姿が、これからの未来を照らすのではないでしょうか。

今後とも、MyTHの取り組みにご注目ください。